鬱(うつ)の時に大音量を聞くとどうなるか?
こんばんは。うつ助手です。
今日も昨日の続きを書いていきます。
受験勉強中に隣地の工事が始まりました。
僕の勉強スペースは1階なので騒音の音源が何しろ近い。騒音、ユレ、そしてその騒音が金属系の音が始終ずーっとなのです。
これには本当に参りました。とにかく解体中がひどい。
結果的に解体後はかなり騒音も和らぎましたが、このひどい騒音を聞いている内に、また変化が現れてきました。
すぐイラつく(というよりもいつも馬鹿にされている気がして憤慨しているような感じ)し、すぐ泣くのです。
テレビを見ては泣き、(僕はクリスチャンなので)聖書を読んでは泣き、何かのきっかけがあれば泣き、どちらかというとイラつきよりも泣く方が多いのです。
家族は僕の病気が分かっていますから何も言わないのですが、すぐにポロポロ泣き出す自分は端で見ていたら相当おかしかったと思います。
また正直、未だに治らないのですが現役時になまじ地位や権力があった故に、無力になったとたんに自分が周囲から馬鹿にされているという感覚がものすごい勢いで襲ってきます。
当時勉強していた資格は企業経営にかかわる資格でしたが、恐らくそういった気持ちが自分をその資格に向かわせたのだろうな、と今は思えます。
そして、ある時僕は夢を見ました。
[PR]
鬱(うつ)で受験勉強中に工事が始まった。
こんばんは。うつ助手です。
昨日はいまいち調子が悪くブログが書けませんでしたが、本日は続きから書いていこうと思います。
鬱(うつ)の状況下で資格の受験生となった僕でしたが、こんな時に限って自宅の周辺で解体、新築の工事が始まりました。
鉄骨の家の解体でしたので、何しろ隣地ですから揺れも音も最大級です。
それが朝から夕方まで月~土まで続くのですから最悪です。
もう勉強しているのだか、何をしているのか分からず、なぜか涙も止まらず本当に苦しかったです。
そのせいかこの頃、発狂がひどくて、何を聞いても馬鹿にされているような気がしていました。
特に前職のスタッフにきっと嘲笑されていると思い込んでいて(実際そうかもしれませんが)、自分は何としてもこの資格を取って見返してやるんだ、と思ったり、自分が無力に感じたり、とその繰り返しです。
ただでさえ集中力などありません。
そこに工事の大騒音です。
もう、自分はダメなんだ…と思う自分を抑えるのが必死でした。
[PR]
受験勉強をすることで鬱(うつ)のことを忘れるか?
こんばんは。
うつ助手です。
標題に書きましたが、結論は「忘れません」。
さて、昨日のブログでは鬱(うつ)になりながらも資格の受験生になったことを書きましたが、今日はその続きを書いていきます。
鬱になる前、僕の労働時間は1日14時間くらいで、日曜日だけ休むという感じでした。これをブラックという話にもなろうかと思いますが、自分は役員でしたので全く適用されませんし、そもそもやらねばならぬという仕事が数多くありました。
これによって別の持病(ヘルニア)を抱える事になり、退職手前では医療用コルセットをしていても足が前に出ないくらいの痛みが出る日がありました。
ですが、そんな痛みがあっても鎮痛剤を飲みながらも脳内にほとばしるアドレナリンによって仕事を進めるのです。
要は集中力の持続についてはかなり自信がありました。
しかし、この勉強を始めたところ、30分も集中することができません。オンラインの授業でしたが、ちょっと見てはYouTubeを見てという繰り返し、全く頭に入らないし、スタートしても持続しません。
そこで「やる気が出ない時の解決法」として、「少しやってみる」というのがあり、それは知っている事だったのでやってみます。でも持ちません。
頭が拒絶するような感じでどんどんと安易の方へ流されてしまうのです。
また、結構追求しないと気が済まないタチで授業で分からない事があると何かと調べたり、何度も聞き直します。
そんな感じですから、当たり前ですがカリキュラムが全然進まないのです。
何度も書きますが、自分の中に2人の自分がいる感じなのです。
鬱(うつ)である自分を否定し、今まで通りにできると思っている自分と、その真逆の自分です。
これはものすごいフラストレーションでした。
睡眠導入剤を処方してもらっているせいもありますが、朝は11時くらいにならないとそもそも目が覚めません。
そこからゆっくりとした動作でよろよろ歩き回って疲れたらソファーで寝て、気力を出せれば勉強してという感じです。
でも、殆どはソファーで寝てしまうと、もう外は暗くなっています。
なぜこんなに眠れるのかさっぱり分かりませんが、頭が情報を遮断したくて仕方がなかったのかも知れません。
[PR]
鬱(うつ)がピークの状況で受験勉強をしようと考えた。
こんばんは。うつ助手です。
今回のことは鬱の人には全くオススメできない話ですが、自分の記録として残しておきたくて書くことにしました。
昨日のブログでは鬱の状況で電車に乗ったらえらい目にあったという内容でしたが、今日の話はもっとひどい話です。
鬱(うつ)なのですから自分の中では常に恐怖と不安が竜巻のように僕を襲ってきます。
「収入が無くなったのだから、どうすればいいのだろう?」
「これからちゃんとお金を稼げるのだろうか?」
一番重要なことは静養することなはずなのですが、自分の中では「お金」の問題を解決することが最優先になってしまい、恐怖と不安の竜巻はさらに大きなものになりました。
そして、出した結論はとある資格を取ろう!という事でした。
自分のキャリアを活かせる仕事が他に思いつかなかったこともありますが、何しろいきなり地位を失いましたので、そういう部分で自尊心を満たしたかったのだろうと思います。
その資格は1次と2次があり1次は7科目もあり、いわゆる難関国家資格の一つと言われています。
正直、それを勉強しようと思った時は、鬱(うつ)はピークの状況。
家の中で笑い声がしようものならそれが自分に向かっての嘲笑に聴こえてしまうので、発狂して頭を壁にぶつけたりしているような状態です。
でも、別の自分が「何とかしなきゃ」と自分にささやきかけるのです。
そしてやめればいいのに勉強をスタートしました。
当たり前の事ですが…はっきり言って勉強は全く頭に入ってきませんでした。
通信で勉強したので、何度でも動画を見かえす事ができるので良かったのですが、これがもし通いの予備校だったら全く分からなかっただろうと思います。
さらには頭に入らない自分自身が発狂の原因になりました。
しかし、「克服してやる」という別の自分にはそれが満足につながっているのです。
もう頭の中はめちゃくちゃなのです。
当然、その時点でも頭と身体は別モノ。家族からは僕の表情が全くなくなった、と言われていました。
しかも思い立ったのがちょっと遅くて受験日までは半年くらいしかありません。
今思うと…やっぱり狂っていたと思います。
[PR]
鬱(うつ)の状態で電車に乗るとどうなるのか?
こんばんは。うつ助手です。
今日は昨日よりいくぶん調子が良いのでブログをマジメに書かせて頂きます。
僕はクリスチャンなので、通常日曜日は教会へ行きます。
しかし、いくら教会といえども人が居る場所ですので、精神面には結構影響があるはず。でも、なんだか行かなければならないような気がしていくことにしました。
教会に行くには電車で何駅か乗っていく必要があるのですが、家内が一緒だったとは言え、どうということはないはずの駅の光景、通過電車が過ぎ去る瞬間、そうしたひとつひとつが頭の中にダイレクトに飛び込んでくるような感じです。
幸い、行っている教会は3回の礼拝があり、朝一番の礼拝は人も少ないのですが電車に乗るところからその状態でした。
一旦到着してしまえば礼拝そのものは非常に静かなものですからどうということはありません。
でも今度は牧師のメッセージに集中ができません。
悲しかったり悔しかったりするのに、今度はウトウトしてしまうのです。
自分の頭の中には本来というか今まで通りの自分も存在しているのに、身体どころか頭もいう事をきかないのです。
それまで「鬱は思い込み」だと思い続けていましたが、それは違うんだと改めて体感しました。
人間、一旦壊れてしまうとかなりまずい事になるのだと今ならば思えますが、当時は全くコントロールが効かない自分がもどかしく、恥ずかしく、負け犬になったような気持ちがして悔しさなのか悲しさなのか申し訳なさなのか…
自分はなんでこんな事になってしまったのだろうと、自問自答することになりました。
それは今でも続いていることなのですが、多分、僕にはこの闘病が必要な事だからこうなったのかも知れない、と今はそう考えるようにしています。
[PR]
鬱(うつ)になった時の色々な手続きについて
こんばんは。うつ助手です。
今日は、標題の通り「手続き」関係のお話しです。
正直なところ、手続きについては家内の献身的なサポートのお陰で僕は、あぁそうなんだ、あぁそうなんだといいながらサインをするだけでしたが、記憶にあるところで書いていこうと思います。
まずは自立支援医療。詳しくはこの方の記事がよろしいかと。
これがあると医療費がとても安くなります。
それから、割と重要なのが健康保険証のことです。
僕は会社組織の役員でしたから社会保険でしたが、失職したということは国民健康保険に切り替えをしなければなりません。
ところが、この国民健康保険はなかなか高いのです。
今までは僕が稼いで家族は扶養となっていましたが、こうなると全員国民健康保険になる訳ですから、ビックリするような事態になります。
そこで、家内が会社の顧問社労士に連絡を取ってくれ、条件が合うので、従前の社会保険の任意継続という形式をとると2年間は今まで通りで行けるという話しを聞きました。
これは本当にありがたい事ですが、新しく届いた保険証を見ると喪失予定日として2年後の日付が入っていました。
それと、厚生年金。
これも失職したからには国民年金に変更になります。これは上記のような優遇という制度は無い様で、納付を猶予してもらうということはできるということでした。
額面通りの年金を希望するならば最終的には猶予した納付額を後々支払う事になります。
次は子供の学費。
これはダメでした。普通のお勤めの方であれば例えば会社が倒産した等の急激な所得変動に学費の減免等を講じてくれるようなのですが、僕の場合は役員なので該当しないと言われ諦めました。
でも普通のお勤めの方でしたら聞くべきです。
それから、生命保険。
収入も結構ありましたが何しろ健康の問題はどうにもならないので、かなり色んなオプションをつけていましたが、プランナーの方と相談して必要最低限にどんどんカットしました。
大体、手続きはこのような感じでした。
ちなみに鬱(うつ)ですと障がい者手帳の取得も可能ですが、これは少なくとも半年の通院がないと申請ができません。
今は結構冷静に書けるようになりましたが、冒頭でも書いたように、当時は何も考えられず、ただただ心配と恐怖が自分を包んでいるような感じでした。
[PR]